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うんざり

11月27日、大阪市長選挙と大阪府知事選挙のダブル選挙で橋下氏が圧勝した。得意満面の橋下氏はさっそく、職員攻撃を開始し、お得意の悪者を作って攻撃するという手法を展開している。

多くの現代日本人にとって彼は最適なリーダーだと思う。彼は暗に主張する。

「皆様は悪くない!悪いのは既得権を持った○○です!皆さんは一切悪くない!」

これほど多くの日本人が聞きたがる言葉はないだろう。そして、役人など市役所の窓口でしか見たことがない、あるいは自分が見たごく小数の例を拡大解釈する人々が、役所を敵視し大歓声を上げるのだ。

日本国民は民主党にだまされて少しは成長したと考える人もいるかもしれないが、私は全くそう思わない。根底にある無責任さ、「(聖人のような)誰かがなんとかするべきだ」という都合のよい救世主思考、世の中の閉塞感は全て誰かのせいだと考えたがる幼稚性。そのすべてが健在であると思う。全国ではなく大阪での出来事とはいえ、橋下氏の圧勝はその象徴に見える。

日本の夜明けだと浮かれ騒ぐ人々は、小泉首相誕生のときや民主党政権誕生のときに気勢を挙げた人々と同種でないかと思う。カイカク、カイカクと期待する気持はわからぬでもない。多くの人間が、閉塞感が消え去ることを望む世の中だ。

だがしかし、自ら変わろうとしない人間に、望みどおりの改革など決して訪れない。そのことに気づくのは何世紀も先か、あるいは永遠にわからぬままか...。
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とーでん

福島原発のトラブルが長引くことは避けられない状況のなか、東京電力が叩かれまくっている。報道では東電の不手際がこれでもかと報道されており、なんともやむを得ない状況だ(公平な報道であるかは疑問があるが)。

このたびの原発トラブルに伴う東電叩きに対し、ネットで抗議を表明する東電社員や東電社員の家族が出現したが、たちまち新たな火種と化して叩かれている。東電のことは全く好ましく思っていないが、声をあげてしまった彼らの気持はわからぬでもない。

思うに、東電の社員ともなると、真面目に勉強し、良い大学を出て、懸命な努力の末に入社を果たした方たちであろう。そして、多くの人間が会社組織の中で責任感をもって己の仕事に邁進していたであろう。

だが、一連の原発トラブルで、東電は社会の敵とされてしまった。社員や社員の家族が「これまでがんばってきたのに。今もがんばっているのに」と悲痛な声をあげるのは、やむを得ないことである(声をあげるには時期が悪すぎるが)。なにしろ、彼らの多くは「努力は一定の評価を受けるもの」として人生を送っており、「個々人がどれだけ努力をしても(あるいはしてきても)世間から虫けらのように叩かれる」という理不尽な世界に身をおいたことがないからだ。

バッシングに理性はない。そして、大義名分をもったとき、日本人はどこまでも冷酷になれる。東電の方々がどれだけ窮状を訴えようとも、「避難している人たちのことを考えろ!」「放射線の被害のことを考えろ!」と言われておしまいである。その先は何もない。

これまで都会の電力を裏から地道に支えてきたとしても、それによって社会が大きな利益を受けていたとしても全く関係がない。東電に被災者がいても考慮されない。残念ながら日本人の多くは、誰かを強く憎みたいのだ。日本人は、暴動ひとつ起こさない大人しい民族だが、敵を見つけて蔑み、あざ笑うのが実は大好きなのである。

インターネットでは民度の高い日本人像が誇らしげに語られていることがよくあるが、まったく可笑しな話である。特定の集団や集団構成員を、大義名分を振りかざして傷つけることが好きな民族のどこが民度が高いのか。

話はそれたが、東電の方々は今、バッシングを受けた人間にしかわからない苦しみを味わっている。世間は今、東電社員をいくら傷つけてもよいという免罪符をもっている。その結果、東電の人々は叩かれ、白い目で見られ、人間らしい文句ひとつ、言ってはいけない雰囲気に飲み込まれている。仮にその苦しみを外部の友人に語っても、「当然の報い」「まだ苦しみが足りない」と言われることだろう。

まったくもって救いがない。だがバッシングとはそういうものだ。日本人の心に潜む怪物なのである。この状況下では頭を低く下げてひたすらに耐えるしかない。憎悪にさらされるのは心にも体にも良くないことだが仕方がない。今は黙々と、己のなすべきことに集中するべきである。

事態の一日も早い収束を望む。

暴君

アメリカ軍普天間基地の移設問題で、大阪府の橋下徹知事が、移転先として神戸空港を例示した発言について、以下のように話し、神戸市から抗議を受けたことを報道陣に明らかにしたそうな

「神戸市役所から厳重抗議が来たみたいですね。本当、神戸市役所というのは、役所体質がまだ抜け切れていないというか、税金でつくった空港なのに、自分たちの空港だと思っているもんだから。神戸市役所がそういうことにいちいち口を出すんだったら、3空港問題から神戸空港除いちゃって、神戸市で全部責任とってもらえばいいと思いますね」

いやはや大阪の独裁者の話題はよく耳にするが、なんとも恐ろしい。自分が気に入らない意見をされて癇癪を起こすとたちまちそれをマスコミに公開する性癖を持っているようだが、これでは周りの人間も安心して意見を申し述べることもできまい。僕の知り合いのマスコミに言いつけちゃうぞ!を地で行っているわけだ。

神戸市は抗議したわけではないと弁解しているようだが、よその自治体が管理する空港を移転先として示すこと自体、あまりにも非常識であり抗議したとしても当然である(一応、「大阪府知事がこうすべき、ああすべきとは言いにくい」と述べ、あくまで国から提案があった場合の対応であることを繰り返し説明したらしいが)。本当に移転ともなれば相応の負担と重大な責任が発生するわけで市民にだって迷惑をかけることになる。

神戸市役所が神戸空港を自分達のものだと思っている、とか、役所体質である、との反論は的外れというか、ほとんど意味不明である。役人でなくても他人に無責任な発言をされれば抗議するのは当たり前。役所がどうのとかは関係ない。

もっとも、知事は以下のように発言しており、怒りの原因は別のところにあるのだろう。

「市長からの抗議なら分かるが公務員が政治家に厳重抗議するのはおかしい

役人ごときが俺様に抗議するんじゃねぇ!と激怒したわけだ。知事の公務員嫌いは有名であるが、この理屈だと知事の部下である大阪府の職員たちは知事に決して抗議はできない、ということになる。まさに裸の王様、現代の暴君である。

だが悲しいことに、このような暴走行為も「役所体質」などと意味のわからない公務員批判と結び付けられれば大目に見られてしまうのが今の世の中である。なにしろ、メディアによる公務員いじめは、今や公然と認められる庶民(ただし公務員は除く)の娯楽だからだ。これでは一部の公務員が「もう役所は全部民営化して、金を払う人だけがサービスを受けられるようにすればいい」と投げやりなことを言い出すのも無理はない。こんな時代がいつまで続くのだろうか...。

忍び寄る改悪4

長々と愚痴らせていただいたが人事評価制度は順調に導入され、いずれは「人事評価制度のおかげで全体として国家公務員の給料が下がった」等と世間様にとってよいニュースも流れることであろう。ま、その中身は「なんでも競争入札がスバラシィー。低価格ワッショイ」的な随意契約追放運動と同じで、現場を知らないマスコミ様に受けの良い数字が組みあがるだけの話なのだが。

信じてはもらえないだろうが現在の行政はある意味、個々の職員の良心でなんとか成り立っているところがある。しかし、新人事制度はそこすら破壊しかねないものである。

もちろん変化は必要だと思う。だが、スケジュールありきで十分な検討もせず導入に突き進む当局を見るにつけ終わりの始まりを予感せずにいられない。せめてもの抵抗に新人事制度に関する意見聴取に対しては自分なりに問題提起するつもりだが、あからさまな形だけの試行を見るに、効果は薄いだろう。

私自身にしても、これからはノルマ至上主義なのだから数字にならない仕事など放っておくか適当にやらざるえないことになるだろう。上司に気に入られ、ノルマを達成しないと稼ぎにならない。何が国民にとって大事かではなく、いかに要領よくノルマを達成して己の生活を守るかが至上命題になる。この流れに逆らうつもりはない。世間的にもコームイン能力主義バンザイなのだから従わざるを得ない。

だがそれでも、浅ましく他人を引きずりおろすことばかりに熱心な連中に資することになるかと思うと、悔しいものである。

忍び寄る改悪3

さて、国家公務員の新人事制度の目玉となる「役割達成評価部分」であるが、これはいわゆる業績評価である。民間企業の営業職で例えるならば売上や粗利に相当する部分である。先のエントリで述べた能力評価部分は主観が入りがちな曖昧なものであるが、業績評価は数字で結果が出るため、実際の人事評価は業績評価によってなされることが予想される。

ここで、仕事の評価という難しい問題が出てくる。そして難しい問題であることから、人事院は何の例も示さず目標設定は現場に丸投げである。民間勤めだった頃は何も考えず「個人売上高 前年比○○○%以上達成」とでも記入すればよかったのだが、行政の仕事を数字目標に置き換えるのはどうにも難儀である。

自分の仕事を書くわけにはいかないので、例えば税金の徴収の仕事をしている人がいるとしよう。担当したことがないので素人考えだが目標としては徴収率を上げる、なんてのが考えられる。

たしかに徴収率をズンドコズンドコ上げれば万々歳である。ノルマを完遂すればそれだけ国に奉仕できるというものだ。客観的に見てもわかりやすい評価が可能である。しかし、徴収率100%のAさんと徴収率80%のBさんはどちらが評価されるべきだろうか。

新人事制度ではAさんが高評価になるだろうが、仕事の内容を見るとAさんの扱った事案にはいわゆる長期未解決になるような困難事案はひとつもなく、容易なものばかり。一方、Bさんは誰もが手を焼く問題滞納者を相手に奮闘し、見事に事案を解決したが困難事案に足を引っ張られ徴収率は達成できず。

楽な事案ばかり担当するAさんはけしからんので能力評価で評価を低くすべきだが、Aさんは上司に取り入るのが上手く評価は下がらない。真面目な性格のBさんは周囲からの敬意は勝ち取れるものの、評価は低く賃金は下げられる。

楽な事案ばかり担当しようとする人がでるのは現在でも生じている問題点であり、仕事を真面目にする人間が損をするのも今に始まったことではない。周囲の目を気にしない問題児が助長しているからこそ人事評価自体は公務員自身からも求められる制度なのである。だが、何も考えずに導入してしまうと問題児が駆逐されるどころか、そのような人間を制度として応援してしまう事態に陥る。

また、時間がかかってもより困難な案件に取り組むことは数字に表れなくても社会的公正に資する行為であると私は思うが、数字が一番大事ならそんな正義感などゴミ箱行きである。面倒なことは他人に押し付ければよい。押し付けられたほうはモチベーションゼロになるかもしれないが。

数字を上げることは多くの場合、行政にとって手段であり目的ではない。手段が目的と化すと内容はどうでもよくなる。いかに効率よく点数を稼ぐかが全てとなる。国民への目線は自然と消滅していく。なぜなら国家公務員は使い勝手のよい聖人君子ではなく、その多くはただの庶民である。生活がかかっているなら、優先すべきは数字になるのは必然だ。
(続く)

Appendix

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Hamras

Author:Hamras
職業 国家公務員(ノンキャリア)

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