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とーでん
福島原発のトラブルが長引くことは避けられない状況のなか、東京電力が叩かれまくっている。報道では東電の不手際がこれでもかと報道されており、なんともやむを得ない状況だ(公平な報道であるかは疑問があるが)。
このたびの原発トラブルに伴う東電叩きに対し、ネットで抗議を表明する東電社員や東電社員の家族が出現したが、たちまち新たな火種と化して叩かれている。東電のことは全く好ましく思っていないが、声をあげてしまった彼らの気持はわからぬでもない。
思うに、東電の社員ともなると、真面目に勉強し、良い大学を出て、懸命な努力の末に入社を果たした方たちであろう。そして、多くの人間が会社組織の中で責任感をもって己の仕事に邁進していたであろう。
だが、一連の原発トラブルで、東電は社会の敵とされてしまった。社員や社員の家族が「これまでがんばってきたのに。今もがんばっているのに」と悲痛な声をあげるのは、やむを得ないことである(声をあげるには時期が悪すぎるが)。なにしろ、彼らの多くは「努力は一定の評価を受けるもの」として人生を送っており、「個々人がどれだけ努力をしても(あるいはしてきても)世間から虫けらのように叩かれる」という理不尽な世界に身をおいたことがないからだ。
バッシングに理性はない。そして、大義名分をもったとき、日本人はどこまでも冷酷になれる。東電の方々がどれだけ窮状を訴えようとも、「避難している人たちのことを考えろ!」「放射線の被害のことを考えろ!」と言われておしまいである。その先は何もない。
これまで都会の電力を裏から地道に支えてきたとしても、それによって社会が大きな利益を受けていたとしても全く関係がない。東電に被災者がいても考慮されない。残念ながら日本人の多くは、誰かを強く憎みたいのだ。日本人は、暴動ひとつ起こさない大人しい民族だが、敵を見つけて蔑み、あざ笑うのが実は大好きなのである。
インターネットでは民度の高い日本人像が誇らしげに語られていることがよくあるが、まったく可笑しな話である。特定の集団や集団構成員を、大義名分を振りかざして傷つけることが好きな民族のどこが民度が高いのか。
話はそれたが、東電の方々は今、バッシングを受けた人間にしかわからない苦しみを味わっている。世間は今、東電社員をいくら傷つけてもよいという免罪符をもっている。その結果、東電の人々は叩かれ、白い目で見られ、人間らしい文句ひとつ、言ってはいけない雰囲気に飲み込まれている。仮にその苦しみを外部の友人に語っても、「当然の報い」「まだ苦しみが足りない」と言われることだろう。
まったくもって救いがない。だがバッシングとはそういうものだ。日本人の心に潜む怪物なのである。この状況下では頭を低く下げてひたすらに耐えるしかない。憎悪にさらされるのは心にも体にも良くないことだが仕方がない。今は黙々と、己のなすべきことに集中するべきである。
事態の一日も早い収束を望む。
このたびの原発トラブルに伴う東電叩きに対し、ネットで抗議を表明する東電社員や東電社員の家族が出現したが、たちまち新たな火種と化して叩かれている。東電のことは全く好ましく思っていないが、声をあげてしまった彼らの気持はわからぬでもない。
思うに、東電の社員ともなると、真面目に勉強し、良い大学を出て、懸命な努力の末に入社を果たした方たちであろう。そして、多くの人間が会社組織の中で責任感をもって己の仕事に邁進していたであろう。
だが、一連の原発トラブルで、東電は社会の敵とされてしまった。社員や社員の家族が「これまでがんばってきたのに。今もがんばっているのに」と悲痛な声をあげるのは、やむを得ないことである(声をあげるには時期が悪すぎるが)。なにしろ、彼らの多くは「努力は一定の評価を受けるもの」として人生を送っており、「個々人がどれだけ努力をしても(あるいはしてきても)世間から虫けらのように叩かれる」という理不尽な世界に身をおいたことがないからだ。
バッシングに理性はない。そして、大義名分をもったとき、日本人はどこまでも冷酷になれる。東電の方々がどれだけ窮状を訴えようとも、「避難している人たちのことを考えろ!」「放射線の被害のことを考えろ!」と言われておしまいである。その先は何もない。
これまで都会の電力を裏から地道に支えてきたとしても、それによって社会が大きな利益を受けていたとしても全く関係がない。東電に被災者がいても考慮されない。残念ながら日本人の多くは、誰かを強く憎みたいのだ。日本人は、暴動ひとつ起こさない大人しい民族だが、敵を見つけて蔑み、あざ笑うのが実は大好きなのである。
インターネットでは民度の高い日本人像が誇らしげに語られていることがよくあるが、まったく可笑しな話である。特定の集団や集団構成員を、大義名分を振りかざして傷つけることが好きな民族のどこが民度が高いのか。
話はそれたが、東電の方々は今、バッシングを受けた人間にしかわからない苦しみを味わっている。世間は今、東電社員をいくら傷つけてもよいという免罪符をもっている。その結果、東電の人々は叩かれ、白い目で見られ、人間らしい文句ひとつ、言ってはいけない雰囲気に飲み込まれている。仮にその苦しみを外部の友人に語っても、「当然の報い」「まだ苦しみが足りない」と言われることだろう。
まったくもって救いがない。だがバッシングとはそういうものだ。日本人の心に潜む怪物なのである。この状況下では頭を低く下げてひたすらに耐えるしかない。憎悪にさらされるのは心にも体にも良くないことだが仕方がない。今は黙々と、己のなすべきことに集中するべきである。
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- 2011-04-23
- カテゴリ : 雑感
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